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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)1232号 判決

原告

丙川二男こと

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

松隈忠

被告

医療法人正和会

右代表者理事長

佐藤利行

被告

乙山実

右被告ら訴訟代理人弁護士

小林淑人

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金一九九九万三二〇〇円及びこれに対する平成五年二月二〇日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者が求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金三〇〇〇万円及びこれに対する平成五年二月二〇日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 被告医療法人正和会(以下「被告正和会」という。)は、肩書住所地において新協和病院(以下「被告病院」という。)を経営しており、被告乙山実(以下「被告乙山」という。)は、被告病院に院長として勤務する医師である。

(二) 原告は、平成四年一月六日から同年四月一三日まで被告病院に通院し、主として被告乙山による診断と治療を受けた。

2  (本件診療契約)

原告は、平成四年一月六日、被告病院を訪れ、被告乙山に対し、「右手が動かない。」等の具体的症状を訴えて、右症状に対する診療を求め、同日、被告正和会との間に、被告正和会が原告の右症状の原因の解明及びこれに対する適切な治療行為を行うことを内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。

3  (被告正和会の債務不履行)

(一) 原告は、平成三年一二月一二日ころ、脳梗塞が発症し、そのために右手にしびれを感じたので、同月一二日から同月二八日までの間東大阪市森河内西二丁目三〇―二三所在の藤澤整骨院に通院し、首、肩、腕などのマッサージ及び電気療法を受けたが、右手のしびれ感が改善しなかったので、平成四年一月六日、被告病院を受診し、被告乙山に対し、「右手が動きません。」と訴え、その動作もしてみせるとともに、同症状は平成三年一二月に発症し、その後藤澤整骨院で約二週間マッサージと電気治療を受けたが治らなかったものであることを説明した。被告乙山は、原告の右訴えを聞き、原告を診察した上で、原告の症状を「右手正中神経麻痺」と診断し、同日、原告に対し、ビタミン注射とビタミン剤投与をし、同年四月上旬まで、右の治療及びマッサージ療法を継続したが、原告の症状は好転せず、その後、原告のしびれ感は、顔面、右手の各部等へと拡大していった。そこで、被告乙山は、平成四年四月上旬に至り、ようやく原告の頭部のCT検査を行い、その結果、原告の病名は右手正中神経麻痺ではなく脳梗塞であり、原告の右手及び顔面のしびれは脳梗塞に起因する症状であることが判明した。

(二) 原告は、被告病院における原告に対する診療及び治療方法に不安を抱いたため、平成四年四月八日、大阪府立成人病センター(以下「成人病センター」という。)を受診したところ、同日、頸椎及び頸部のレントゲン撮影、脳のCT撮影等の諸検査を受け、同月一五日、脳梗塞後遺症と診断され、同日から同月二四日まで成人病センターに入院し、諸検査及び治療を受けたが、同月下旬に、担当医から、原告の脳梗塞の後遺症は既に慢性期であり、これ以上の改善はあまり期待できないこと及び、今後自宅での右上肢のリハビリを継続するようにとの説明を受けた。そのため、原告は、リハビリによって右症状が好転することを期待して、同月二四日から同年五月七日まで医療法人日本橋病院(以下「日本橋病院」という。)に入院し、また、同年六月一九日から同年一一月一四日まで医療法人寿会富永記念病院(以下「富永記念病院」という。)に入院してリハビリを受けたが、右症状は好転せず、右上肢マヒによる運動機能障害、右上肢知覚低下、右半身の感覚障害等の後遺症(以下「本件後遺障害」という。)が残った。

(三) 被告正和会は、本件診療契約に基づき、原告に対し、善良な管理者の注意義務をもって、専門的知識、経験を基礎として、その当時における医学の水準に照らして当然かつ十分な診療をするべき義務を負っていたにもかかわらず、次のとおり、その義務を怠った。

すなわち、片方の手又は足がしびれる、動かない等の運動障害は、脳血管障害の重要症状の一つとされており、右血管障害を大別すると、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血、TIA(一過性脳虚血性発作)に分けられ、CT、MRIの各検査を実施し、補助的検査として、血圧測定、血液検査、脳波検査などを実施することによって病因を特定することができる。本件において、被告正和会は、原告が前記(一)のとおり被告病院を受診した当初から被告乙山に対して右手の運動障害を訴え、その後の通院中も被告乙山ら被告病院の医師に対して右の症状が改善されていないことを訴えていたのであるから、原告の右の症状が脳血管障害によるものではないかと疑い、病因を特定するためにCT、MRI、血圧測定、血液検査、脳波検査等を実施し、これらの検査によって脳梗塞が発見された場合には、原告を入院させた上、適切な投薬、高圧酸素療法、血液を溶解するなどの薬物療法(内科的療法)、頭蓋骨に直径数センチメートル程度の骨窓を開けて血主要腫や血栓を除去したり、血管にバイパスを設けるなどの外科的手術療法を実施すべき本件診療契約上の義務を負っていたにもかかわらず、かかる義務を怠り、原告の症状を右手正中神経麻痺であると誤診し、脳梗塞に対して早朝に右の内科的・外科的療法を実施しなかったために脳梗塞が治癒せず、その結果、原告に本件後遺障害が残った。

4  (被告乙山の過失・不法行為)

被告乙山は、原告を診断した際、原告から右手が動かないと訴えられ、その後の原告の通院中も、原告から右の症状が改善されていないと訴えられていたのであるから、原告の右症状が脳血管障害によるものではないかと疑い、病因を特定するために前記3(三)記載の諸検査を実施し、これらの検査によって脳梗塞が発見された場合には、前記3(三)記載の諸療法を実施すべき義務を負っていたにもかかわらず、かかる義務を怠り、原告の症状を右手正中神経麻痺であると誤診し、脳梗塞に対して早期に右の療法を実施しなかったために脳梗塞が治癒せず、その結果、原告に本件後遺障害が残ったものであり、この点について過失があるから、不法行為責任を負うべきである。

5  (損害)

(一) 原告は、前記のとおり、平成三年一二月一二日ころに発症した脳梗塞が治癒しなかったために本件後遺障害が生じており、大阪市から身体障害者等級表による級別で四級の認定を受けている。

(二) 原告は、被告病院への通院を開始した平成四年一月六日当時、四七歳の男性で、「甲野自動車」という屋号で鈑金加工業を自営しており、甲野自動車の平成三年一月から同年一二月までの売上は、別紙収入別一覧表記載のとおり、毎月一〇〇万円を下回ることはなく、年間約一五五四万円・月額平均約一二九万円となっており、諸経費を差し引いても原告の所得は一か月当たり五五万円を下回ることはなかったものであるが、原告は本件後遺障害によって右手を使えなくなったため、鈑金加工業を継続することができなくなった。

そこで、被告正和会の債務不履行及び被告乙山の不法行為による原告の逸失利益は、原告の就労可能年数を四七歳から六七歳までの二〇年とし、労働能力喪失率を五六パーセント(原告の負った本件後遺障害は、労働基準法及び労災保険法等による障害補償に関する後遺障害別等級表の第七級に該当する。)、新ホフマン係数を13.61として計算すると、右算式のとおり五〇三〇万二五六〇円となる。

55万円×12×0.56×13.61=5030万2560円

(三) 原告の本件後遺障害は、金八五〇万円とするのが相当である。

6  よって、原告は、被告ら各自に対し、被告正和会については本件診療契約に基づく診療義務の債務不履行に基づく損害賠償として、被告乙山については不法行為に基づく損害賠償として、右損害金合計金五八八〇万二五六〇円の内金三〇〇〇万円及びこれに対する不法行為後であり、かつ、本訴状送達の日の翌日である平成五年二月二〇日から右各支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

7  後記二、2記載の被告らの主張は争う。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  (認否)

(一) 請求原因1の事実(当事者)のうち、(一)の事実は認めるが、(二)の事実は否認する。

(二) 同2の事実(本件診療契約)は否認する。

(三) 同3の事実(被告正和会の債務不履行)のうち、(一)の事実は否認し、(二)の事実は知らない、(三)の主張は争う。

(四) 同4の主張(被告乙山の不法行為)は争う。

(五) 同5の事実(損害)は知らない。

2  (被告らの主張)

(一) 被告病院は、平成四年一月六日から同年四月一三日まで、大阪市城東区鴨野東〈番地略〉に居住する「丙川二男」(昭和二六年一二月三〇日生まれ)と名乗る人物(以下「丙川なる人物」という。)を診療したのであって(甲第八号証の診療録は、被告病院において丙川なる人物の診察に際して作成した診療録である。)大阪市東成区中道〈番地略〉に居住する甲野一郎という人物(原告)を診療したことはない。

(二) 被告乙山は丙川なる人物の「平成三年一一月ころより、何ら誘因なしに右手の背屈が不可能になった」との訴えにより、同人を診察した結果、右手関節が背屈不能の状態であり、正中神経麻痺の如き末梢の神経障害の所見が認められたので、丙川なる人物の症状を右手正中神経麻痺と診断し、同人に対して、平成四年一月八日からビタミン剤等の注射、内服投与、物療(低周波刺激)等を続けていたところ、同年二月一九日には右手の背屈が可能となり、次第に改善する傾向が認められた。ところが、丙川なる人物は、同年四月九日に至り、はじめて「口がしびれる」と訴えたため、被告乙山は、丙川なる人物の症状が末梢神経系にとどまらず、中枢神経系の疾患によるものではないかと疑い、頭部CT検査を実施した結果、同人の左頭頂上部に小さな脳梗塞が認められたので、丙川なる人物に対して入院を指示したところ、同人が入院を拒否したため、やむなく同月一三日まで通院治療を続け、従来のビタミン剤の投与に加え、脳梗塞治療として脳循環改善剤等の点滴を継続した。

(三) ところで、被告病院において丙川なる人物に認められた脳梗塞は、左頭頂部の小さい脳梗塞であり、大脳皮質の梗塞であって、本来右正中神経麻痺の如き単独の神経麻痺をもたらさないものであり、かかる脳梗塞は丙川なる人物が被告病院において訴えた右手のしびれ感という局在の症状とは結びつかないものである。丙川なる人物の頭部CT所見等からすると、同人が被告病院で訴えた症状がすべてを脳梗塞の症状と見ることはできず、同人の脳梗塞は、平成四年の三月から四月にかけて同人が顔面のしびれ、口のしびれを訴えたころにはじめて出現したものと見るのが妥当であり、仮に丙川なる人物と原告との間に同一性が認められるとしても、被告乙山が、丙川なる人物の被告病院受診時における症状を右正中神経麻痺と診断したことについて誤診はなかったし、脳梗塞の診断に遅延はない。

第三  証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし4の事実(当事者、本件診療契約、被告正和会の債務不履行、被告乙山の不法行為について)

1  請求原因1の(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  証拠(甲第一号証の一ないし七、第二号証の一、二、第三号証ないし第六号証、第七号証の一ないし五、第八号証、第九号証の一ないし六、第一〇、一一号証の各一、二、第一三号証(一部)、第一四、一五の各一、二、乙第一ないし第四号証(ただし、乙第三号証を除いてはいずれも一部)、検乙第一ないし第七号証、証人高栁哲也の証言、原告本人尋問の結果(一部)、被告乙山本人尋問の結果(一部)、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、平成三年一二月当時、東大阪市森河内通〈番地略〉において、「甲野自動車」という屋号で、自動車の鈑金塗装一式を取り扱う鈑金加工業を経営し、自らは鈑金加工作業を行い、鈑金加工が終わった後の吹付塗装は、従業員の吉田育宏に行わせていたが、平成三年一一月ころから、右手が少しだるく感じられたため、同年一二月一二日、甲野自動車の近所にある藤澤整骨院を受診した。その際、原告は、富平元子を世帯主とする国民健康保険の被保険者であったが、右当時は右健康保険の被保険者証の再交付を受けていなかったため、原告の名前で受診した場合には保険が適用されず、治療費を全額自己負担しなければならなかったことから、これを免れようとして、原告の妹の夫である丙川二男(以下「丙川」という。)の国民健康保険証を借用し、丙川と名乗って受診した。原告は、同月一二日から同月二八日まで藤澤整骨院に通院し、首、肩、腕等のマッサージ及び電気治療を受けたが、右手のだるさは改善せず、同月二八日には右手を伸ばすことができなくなり、右手の第三指から第五指(中指、薬指、小指)が動かなくなったため、藤澤整骨院において、被告病院を受診するよう勧められた。また、原告は、その約一週間後には右手の第一指(親指)及び第二指(人指し指)も動かなくなった。

(二)  そこで、原告は、平成四年一月六日、被告病院を受診し、原告を診察した被告乙山に対し、「平成三年一一月ころから右手を伸ばすことができなくなり、その後、右手の全ての指が動かなくなり、右手に痛みがある。」などと訴えて、右症状に対する診療を求め、同日、被告正和会との間に、被告正和会が原告の右症状の原因の解明及びこれに対する適切な治療行為を行うことを内容とする本件診療契約を締結したが、その際も、藤澤整骨院を受診したときと同様に、丙川の国民健康保険証を借用し、丙川と名乗って受診した。

もっとも、被告らは、右のとおり平成四年一月六日に被告病院を受診した丙川なる人物と原告との同一性に疑問を呈するが、(1)原告自身右認定に沿う供述をし、甲第一三号証にも同趣旨の記載があるが、原告が自己と丙川なる人物との同一性について敢えて虚偽の陳述をしなければならないような合理的理由は見出し難いこと、(2)甲第八号証によると、丙川なる人物は、被告病院において右手及び右顔面のしびれを訴え、また、平成四年四月九日に頭部のCTを撮影された結果、左側頭葉に低吸収域が発見され、脳梗塞と診断されていることが認められるところ、甲第一号証の一ないし七、第一四、一五の各一、二によると、原告も、成人病センター(原告は、同センターに同月八日から通院し、同月一五日から同月二四日まで入院した。)、日本橋病院(原告は、同病院に同月二四日から同年五月七日まで入院し、その後、同年六月一六日まで通院した。)及び富永記念病院(原告は、同病院に同年六月九日から同年一一月一四日まで通院した。)において、右手及び右顔面のしびれを訴え、また、これらの病院における原告の頭部CT及びMRI等の検査の結果、丙川なる人物に低吸収域が認められた部位と同部位に低吸収域が認められ、脳梗塞と診断されていることを総合すると、平成四年一月六日に被告病院を受診して被告乙山の診察を受けた上、被告正和会との間に本件診療契約を締結した丙川なる人物が原告であることについては、疑問を差し挟む余地がないものといわなければならない。

(三)  被告乙山は、右のとおり、平成四年一月六日に原告を診察したところ、原告から、「平成三年一一月ころから右手を伸ばすことができなくなり、右手の指(第一指から第五指までの全部の指)も動かすことができなくなり、右手に痛みがある。」と訴えられたが、症状が右手の部位に限局されていたため、特に原告の頭部や頸部のCT及びMRI撮影などは行わずに、原告の右症状を右手の正中神経麻痺と診断し、同日、原告に対し、ビタミンを注射し、ビタミン剤(B6、B12及び総合ビタミン剤)の服用を指示した。原告は、同月六日から同月二〇日までの間、同月七日、一二日及び一九日を除いて被告病院を訪れ(なお、原告は、被告病院において、同月八日、九日、一六日及び二〇日は被告乙山が、同月一〇日及び一七日はS医師が、同月一一日、一三日及び一四日はH医師が、それぞれ原告を診察した。)、ビタミンを注射され、ビタミン剤を服用したところ、右手が少し動くようになり、痛みも減少したが、依然として右手のだるさは残り、右手の指も動かしにくいままであり、指に冷感を感じたため、同月二一日にH医師の診察を受けた際、同医師にその旨を訴えたところ、親指の指骨間関節(I・P)及び中手指関節(M・P)の屈曲は可能であったが、伸展は不完全であり、内転も不能であることが確認されたため、同日からビタミン注射及びビタミン剤の服用に加えて、低周波刺激による物理療法が開始された。

(四)  原告は、平成四年一月二二日から同年四月八日までの間、同年一月二六日、同年二月二日、八日、九日、一一日、一六日、二三日、同年三月一日、八日、一五日、二〇日、二二日、二九日及び同年四月五日を除いて被告病院に通院し、ビタミン注射及び低周波刺激による治療を受け、ビタミン剤を服用していたが、右手及び右手の指が動きにくいという状態はさほど改善されず、かえって、同年二月には右上腕から前腕にかけてしびれ感が生じ、同年三月中旬ころには右顔面にしびれ感が生じたため、これらの症状を被告乙山ら被告病院の医師に対して訴えたが、被告病院における原告の病名の診断及び治療法が変えられることはなかった。また、甲第八号証の被告病院の診療録(以下「本件診療録」という。)の「既往症・原因・主要症状等」の欄には、被告乙山が平成四年一月二二日から同年四月二日までの間に延べ二八日間、S医師が同年一月二四日から同年三月二八日までの間に延べ一一日間、H医師が同年一月二五日から同年四月八日までの間に延べ一〇日間、F医師が同年一月二八日から同年四月三日までの間に延べ一五日間、T医師が同年二月一日にそれぞれ原告を診察したように記載されているが、右記載にもかかわらず、原告に対して注射及び物理療法だけを行った日の中には原告が直接物理療法の治療室に赴いて治療を受け、医師の診察を受けない日も少なくなかった。

もっとも、被告乙山は、原告が被告病院に通院していた期間中、原告の症状は徐々に改善しつつあった旨を供述し、また、乙第一号証中にも同趣旨の記載があることろ、なるほど本件診療録の「既往症・原因・主要症状等」欄には、「握り(しやすくなった)」(一月九日)、「いたみは大分→」(同月一三日)、「少し動く様になった」(同月一六日)、「にぎる(出来る様になってきた)」(同月二七日)、「背屈可能」(二月一九日)との記事が散見され(なお、原告は、原告において被告病院の医師に対してかかる記載の如き内容の発言をしたことはない旨を供述するが、にわかに信用することはできない。)、したがって、原告が被告病院に通院期間中、原告の症状が一時的に改善されたと思われる日もあったことが窺われないではない。しかしながら、他方、(1)右の「既往症・原因・主要症状等」の欄には、「右手指の冷間を訴える。右拇指のI・P、M・P‥屈曲‥可能、伸展‥不完全、内転‥不能」(一月二一日)、「右上腕→前腕、倦怠感、しべれ感、右上腕→前腕‥知覚鈍磨、右栂指‥知覚消失、右示中環小指‥知覚異常」(二月七日)、「右手指しびれ感、右手母指運動障害、右握力一六キログラム(左利)」(同月一五日)、「右手しびれ感がある」(三月四日)、「右顔面のしびれ感」(同月一六日及び四月一日)、「体がボーッとしてしんどい。握力左41.0、右13.0」(同月六日)との記載があること、(2)前記認定のとおり、原告は、平成四年一月六日に被告病院を受診して以来、被告病院の休診日(日祭日)を除いてほぼ毎日のように通院していたことに照らすと、被告病院の治療によっても原告の右手の症状は一向に改善に向かっていなかったことが推認されること、(3)原告は、後記(五)のとおり、被告病院における治療に不安を抱いて、同年四月八日に成人病センターを受診し、右手の麻痺及び知覚異常並びに右顔面の知覚過敏を訴えていること、(4)右に認定したところによれば、本件診療録には被告病院の医師が原告を診察した記載になっていても、現実には診察していない日が少なくない(原告が直接物理療法の治療室に赴いた場合)上、「既往症・原因・主要症状等」の欄の記載には日付及び診察した医師名以外何も記載されていないことが多く、仮に記載されていたとしても極めて簡潔にしか記載されていない場合が多いことに徴すると、原告が訴える症状が忠実に本件診療録に記載されていたかどうか疑問の余地があること、以上の諸点を総合するならば、原告が被告病院に通院期間中、原告の症状が徐々に改善しつつあったものとは認めることができず、むしろ、平成四年二月には右上腕から前腕にかけてしびれ感が生じ、同年三月ころには右顔面にしびれ感が生じるなどさらに新たな症状が発生したものと認められる。

(五)  原告は、前述のとおり、被告病院に三か月以上通院したにもかかわらず、右手及び右手の指が動かしにくいという症状が改善されず、平成四年三月ころからは右の顔面にしびれ感を感じるようになり、その旨を被告乙山らに訴えても治療方法は変更されず、しびれ感も減少しなかったので、被告病院における原告に対する診断及び治療方法に不安を抱き、同年四月八日、成人病センターを受診し、右症状を訴えたところ、同日、頸椎及び頸部のレントゲン撮影、脳のCT撮影等の諸検査を受け、入院を勧められた。なお、原告は、成人病センターを受診する前に、富平元子を世帯主とする国民健康保険の被保険者証の再交付の手続をなし、同月七日付で右被保険者証の再交付を受けていたので、成人病センターでは原告本人すなわち甲野一郎の名前で受診し、その後、日本橋病院及び富永記念病院でも原告本人として自己の名前で受診している。

(六)  被告乙山は、平成四年四月九日に原告を受診した際、原告が口のしびれを訴えたため、末梢神経系の疾患のみならず中枢神経系の疾患もあるのではないかと疑い、同日、原告の頭部のCT撮影を行ったところ、左側頭葉に低吸収域が発見されたので(検乙第一号証)、脳梗塞(以下「本件脳梗塞」という。)と診断し、原告に対し、被告病院に入院して治療を受けるよう勧めたが、前記(五)のとおり、原告は、被告病院での治療に不安を抱き、前日八日には成人病センターを受診していたこともあって、右入院の勧めを断った。そこで、被告乙山は、同日、原告に対し、本件脳梗塞の治療として、脳循環改善剤(インテンザイン、サワコリン及びATPを各一アンプル、ネオMを二アンプル)の点滴を行うとともに、従来どおり、ビタミン剤の服用も指示した。原告は、その後、同月一〇日、一一日及び一三日に被告病院に通院し、右の点滴を受けたが、後述のとおり、同月一四日以降は成人病センターに入院するようになったため、被告病院に通院しなくなった。

(七)  原告は、平成四年四月一四日に成人病センターの内科を受診し、入院を許可されたので、同月一五日に同センターに入院した。原告は、右入院中、同月一六日に頸椎の部位をレントゲン撮影し、同月二一日には脳のCTを撮影した結果、左後側頭葉に低吸収域があり(「本件脳梗塞」)、また、頸椎のOPLL(後縦靱帯骨化症)があると診断された。

なお、脳梗塞とは、脳血管の血流障害により脳組織が壊死を起こすことを言い、血流障害の原因として、脳血管に生じた血栓による場合(脳血栓)や、脳以外の部位に発生した血栓、空気、脂肪、腫瘍等の異物による場合(脳塞栓)などが考えられるが、原告については、後述のとおり、日本橋病院における検査により、脳血栓による脳梗塞と診断されている。また、後縦靱帯骨化症とは、不明の原因により後縦靱帯の石灰化、骨化をきたし、徐々に脊椎管前後径の狭窄をきたし、脊椎圧迫症状を呈するものをいう。

原告は、同月二二日、成人病センターの波江医師から、原告の右手の握力低下、右頬のしびれ、右上腕のつっぱる感じは本件脳梗塞の後遺症と考えられ、本件脳梗塞は慢性期であり(なお、脳梗塞の慢性期をどの時期からするかについての明確な基準はないが、臨床的には、自、他覚症状の落ち着いた発症後四週間後からとすることが多い。)、これ以上の改善はあまり期待できないので、血小板凝集抑制剤などの脳の代謝を活発にする薬を飲んでもらい、自宅で右上腕のリハビリを重ねていけばよいと告げられた。

(八)  そこで、原告は、平成四年四月二三日、脳外科の専門病院である日本橋病院を受診し(原告は、当時成人病センターに入院中であったが、外出及び外泊の許可を得て日本橋病院を受診したものである。)、平成三年一二月から右上腕が動かなくなり、現在は右上腕及び右顔面の感覚が鈍磨していること、現在成人病センターに入院中であり、同センターでは脳梗塞と診断された旨を説明し、日本橋病院に入院して治療を受けたい旨を希望したところ、入院を許可されたので、翌二四日に成人病センターを退院し、同日から同年五月七日まで日本橋病院に入院した。日本橋病院では、原告の入院中、原告に対し、頭部のCT及びMRI検査を実施したところ(四月二四日及び五月一日にMRIを撮影し、五月七日にCTを撮影した。)、いずれの撮影結果においても左頭頂部(被告病院及び成人病センターで本件脳梗塞が認められたのと同じ部位)に低吸収域が認められ、また、五月二日に左右の頸動脈の血管撮影を行ったところ、左頸動脈の一部に狭窄が認められたので、原告の本件脳梗塞は脳血栓によるものであると診断し、点滴、脳梗塞の治療薬の内服、高気圧酸素療法及び右上肢のリハビリなどの治療を行ったが、右入院期間中、原告の右上肢及び右顔面のしびれ感、右上肢の軽い麻痺(指の巧緻な運動が困難であり、握力が低下するなどといった軽度の運動障害)はほとんど改善されず、原告は、同年五月七日日本橋病院を退院した。原告は、日本橋病院を退院後も、右上肢及び右顔面のしびれ感並びに右上肢の運動障害が改善されることを期待して同病院及び成人病センターに通院していたが、これらの症状は改善されず、かえって、同年六月九日ころから右上腕に強い痛みを感じるようになったため、同月九日、成人病センターの整形外科を受診し、脊椎の検査を受けたところ、第五脊椎と第六脊椎の部位の後靱帯骨化症と診断されたが(なお、前記のとおり、頸椎の後縦靱帯骨化症自体は、原告が同年四月九日から同月二四日まで成人病センターに入院していた間に発見されていた。)、原告の後縦靱帯骨化症は部分的なものであり、占拠率も低いため、現時点では症候的ではないと判断された。原告は、同年六月一一日には右前腕の疼痛が増強して我慢できなくなったため、救急車で日本橋病院に来院して治療を受け、その後も右前腕の疼痛が続いたため、同月一六日、日本橋病院で頸部のMRIを撮影したところ、第五及び第六頸椎の椎間板ヘルニアと診断されたが、この程度では手術は不要であると判断された。

なお、右通院期間中、本件脳梗塞による右手手指の機能の著しい障害が残ったことを理由に、平成四年六月一三日、大阪市から身体障害者等級表による級別四級の認定を受けた。

(九)  原告は、平成四年六月一九日、富永記念病院を受診し、同日、同病院に入院した(なお、原告は、同年六月一〇日以降成人病センターに通院しておらず、同年六月一七日以降日本橋病院にも通院していない。)。原告は、富永記念病院において、頭部のCT及びMRIを撮影した結果、脳梗塞と診断され、輸液療法、内服投薬及び右手のリハビリによる治療をうけたが、右上肢及び右顔面のしびれ感並びに右上肢の運動障害は治癒しなかったため(原告は、富永記念病院に入院中、右上腕の疼痛を訴えることはほとんどなかった。)、同年一一月一四日に同病院を退院し、その後、バボーズ記念病院に通院することとしたが、同病院において、右手の症状はリハビリを受けても改善の見込みは薄いと診断され、結局、右上肢まひによる運動機能障害、右上肢知覚低下、右半身の感覚障害等の障害(「本件後遺障害」)が残った。

(一〇)  原告は、平成四年四月九日に成人病センターに入院してから後は、本件後遺障害により鈑金加工の仕事を続けることもできなくなったため、甲野自動車の経営を吉田育宏に譲らざるを得なくなった。

3  本件脳梗塞の発症時期

(一)  前記2で認定したところに鑑定の結果を総合すれば、原告の本件脳梗塞は脳血栓によるものであると認められるところ、(1)本件の鑑定人である神経内科医の高栁哲也医師は、原告の被告病院での外来診療録の「平成三年一一月ころより何らの誘因なく右手の伸展不可能となってきた」との記載、日本橋病院の診療録及び入院証明書に「平成三年一二月朝起きると右上肢動かず。失語症もあったらしい、」「平成三年一二月ころに右上肢筋力低下‥」等の記載及び原告本人の供述から、原告の右上肢障害の発症は平成三年一一月又は同年一二月とせざるを得ないと判断した上、原告の被告病院での初診時以降における右手の伸展不可能、背屈不可能と拇指の指骨間関節と中手指節関節の屈曲可能、伸展不完全の所見、また、知覚障害が上腕から前腕、さらに手に及び、範囲が広く、小指にまで拡大していること、顔面の知覚異常と倦怠感の全身的症状に着目して、本症例が初診当初から脳血管障害を疑うべき中枢性運動障害であり、正中神経麻痺は否定せざるを得ないと判断し、本件脳梗塞は、平成三年一一月又は同年一二月ころ、原告の右上肢の運動障害が発症した時に発生したものであると結論ずけていること、(2)成人病センター、日本橋病院及び富永記念病院も、いずれも原告の右上肢及び右顔面のしびれ、右上肢の運動障害等の症状が本件脳梗塞に起因するものであると診断しており、成人病センター及び日本橋病院では、本件脳梗塞が原告の右上肢に運動障害が生じた平成三年一二月ころに発生したものであり、平成四年四月の時点では既に慢性期に入っており、治療は困難であると診断していること、(3)成人病センターの整形外科では、原告の後縦靱帯骨化症は部分的なものであり、占拠率も低いため、現時点では症候的ではないと判断しており、日本橋病院も、原告の第五及び第六頸椎の椎間板ヘルニアについては手術は不要であると判断していたこと、(4)原告は、平成四年四月九日に被告病院で頭部のCTを撮影した結果、本件脳梗塞が発見され、同日以降、被告病院、成人病センター、日本橋病院及び富永記念病院に入院又は通院し、脳血管循環促進剤の投与などの脳梗塞の治療を受けたものの、右上肢及び右顔面のしびれ感はほとんど改善されなかったこと、以上の各事実が認められる。そして、これらの事実に前記2の冒頭掲記の各証拠を総合するならば、本件脳梗塞は、原告が平成三年一一月ころに突然右手を伸ばすことができなくなったころに発症したものであり、本件脳梗塞が平成四年四月九日まで発見されず、脳梗塞に対する適切な治療が行われなかったために本件脳梗塞に起因する症状が右手から右上腕及び右顔面にも拡大し、右平成四年四月九日に本件脳梗塞が発見されたときには既に脳梗塞が慢性期に入っていたため、その後、被告病院、成人病センター、日本橋病院及び富永記念病院において脳梗塞に対する治療が行われたにもかかわらず、本件後遺障害が残ったものと認めるのが相当であり、前記後縦靱帯骨化症や椎間板ヘルニアの存在は原告の平成四年四月九日以前の症状及び本件後遺障害の原因とは認め難いというべきである。

(二)  被告らは、原告の脳梗塞は平成四年の三月から四月にかけて原告が顔面のしびれ感や口のしびれ感を訴えたころにはじめて出現し、それ以前の原告の症状は、本件脳梗塞とは結びつかず、また、原告の右上肢のしびれや運動障害は、本件脳梗塞によるものではなく、前記後縦靱帯骨化症や椎間板ヘルニアに起因する可能性がある旨を主張し、乙第一、二号証、第四号証にはこれに沿う記載があり、被告乙山も同趣旨の供述をしている。そして、乙第二号証及び第四号証(越野兼太郎医師の意見書)によると、本件脳梗塞の病巣の大脳皮質における局在、大きさ(底辺1.3センチメートル、高さ三センチメートルのほぼ三角形)からみて、運動領野と知覚領野にまたがるほどの広範囲ではないし、上肢と顔面に障害が及ぶほどの大きさではなく、鑑定人が指摘する錐体路障害による中枢性運動障害は手指のI・P関節やM・P関節といった局所には起こり得ないし、大脳皮質での脳梗塞には疼痛は起こり得ないところ、原告が右上肢の疼痛を訴えていたことは明らかであるというのである。しかしながら、原告は、平成四年一月六日に被告病院を受診した際に右手の痛みを訴え、また、同年六月九日から約一週間にわたって右上腕及び前腕の疼痛を訴えたことがあったものの、それ以外には、被告病院、成人病センター、日本橋病院及び富永記念病院に入院又は通院中に右上肢の疼痛を訴えたことはほとんどなく、しかも、証人高栁哲也の証言によると、原告が訴えた痛みは、疼痛というより脳血管障害に起因する運動障害により四肢を動かさないことによる拘しゅくによる痛みである可能性があり、また、錐体路障害による中枢性運動障害が手指のI・P関節やM・P関節に起こり得ないとは限らないこと、本件脳梗塞の局在、大きさについても左側内包後脚にもその一部に低吸収域があると疑い得る余地があること、なお、MRIの読影は、読影者の経験・技量によるところが大きく、原告を診察した各病院の医師が各病院で撮影したMRI上、左側内包後脚の低吸収域を指摘していないからといって、右低吸収域が存在しないとは断言できず、したがって、本件脳梗塞が大脳皮質に生じた小さなものと即断することもできないことが認められ、かかる諸点に前記(一)で認定の事実を併せ考えると、乙第一、二号証、第四号証の各記載内容及び被告乙山の前記供述はたやすく採用することができない。

4 被告正和会の債務不履行及び被告乙山の不法行為

(一) 前記2、(二)で認定したとおり、原告は、平成四年一月六日に被告病院を受診し、原告を診察した被告乙山に体し、平成三年一一月ころから右手を伸ばすことができなくなり、その後右手の全ての指を動かすことができなくなり、右手に痛みもあるなどと訴えて、右症状に対する診療を求め、同日、被告正和会との間に、被告正和会が原告の右症状の原因の解明及びこれに対する適切な治療行為を行うことを内容とする本件診療契約を締結しているのであるから、被告正和会は、本件診療契約に基づき、また、被告乙山は原告を診察した医師として、原告に対し、善良な管理者の注意義務をもって、専門的知識、経験を基礎とし、その当時における医学の水準に照らして当然かつ十分な診療をするべき義務を負っていたというべきである。

(二) これを本件についてみると、被告乙山は、前記2、(二)ないし(六)で認定のとおり、平成四年一月六日に原告を初めて診察した時点で、原告の症状を右手の正中神経麻痺によるものであると診断し、以降、同年四月九日に実施した原告の頭部のCT撮影の結果により脳梗塞と診断するまで約三か月にわたって、原告に対し、もっぱらビタミン剤の内服及び注射、右手の低周波刺激による治療などの正中神経麻痺に対する治療を行っていたものであるが、証拠(証人高栁哲也の証言、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば、正中神経麻痺によって手(手首から先の部分)の回内不能、指(第一ないし第四指、ただし、第四指については親指側のみ)の屈曲不能及び知覚障害並びに第一指と他の指の対峙不能などの症状を呈することはあっても、原告が訴えたような手の伸展不能、第一指ないし第五指の屈曲不能、前腕及び上腕の運動障害並びに顔面のしびれなどの症状を呈することはないと認められるから、被告乙山が平成四年一月六日の時点で原告を正中神経麻痺と診断し、その後も原告の右手の伸展不能及び右指全部の運動障害が継続し、同年二月には右上腕から前腕にかけてのしびれ感が、同年三月中旬には右顔面にしびれ感がそれぞれ生じたにもかかわらず、同年四月九日まで正中神経麻痺との診断を維持し、正中神経麻痺に対する治療を継続したことは、被告乙山が神経内科ではなく整形外科を専攻分野とする医師であることを考慮に入れたとしてもなお医師として軽率であったとの誹りを免れないというべきである。したがって、被告乙山としては、原告の右の症状は正中神経麻痺のような末梢神経系の障害によるものではなく、中枢神経系の障害によるものであることを疑い、原告に対し、問診(右手の筋肉の緊張、右手の知覚障害、右手の反射、高血圧、糖尿病等の既往症の有無等について確認する。)、尿検査、血液生化学検査、末梢神経の伝達度検査を行い、その結果、脳血管障害による中枢神経系の障害が疑われた場合には、原告の頭部のCTやMRIによる検査を実施し、その有無を確認すべき義務を負っていたものでなって、とりわけ脳梗塞の場合、発症後の初期から患者を入院させるなどして精神的かつ身体的安静を与え、次いで、脳梗塞とそのための脳浮腫を軽減するための薬物療法(血栓溶解療法、トロンバキサン合成酵素阻害薬、脳浮腫治療薬の投与)を行うとともに、リハビリを開始し、慢性期に入るとともに運動療法及び脳循環代謝改善薬の投与などの治療を行わなければ、運動障害などの後遺症を回避することが困難であることに鑑み、医師としては、右の諸検査をできる限り早期に実施すべき義務を負っていたものと認めるのが相当である。

(三) 一方、証拠(甲七の一ないし五、第九号証の一ないし四、証人高栁哲也の証言、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、原告の脳梗塞は平成三年一一月頃に発症したものであり、原告が被告病院を受診した時点では既に一か月以上を経過していたものと認められるから、被告乙山が平成四年一月六日の時点で原告の中枢神経系の障害の可能性を疑い、前記(二)の諸検査を実施していたならば、本件脳梗塞を発見し得たものと認められる(原告の右手の伸展不能、右手の屈曲不能等の症状が本件脳梗塞によるものであることは、前記一、3で認定説示したとおりである。)。そして、右平成四年一月六日の時点では本件脳梗塞の発症から約一か月が経過していたにすぎず、未だ右前腕から上腕にかけてのしびれや右顔面のしびれも発生していなかったのであるから、この時点で原告を被告病院に入院させた上、前記(二)で詳述したとおり、脳梗塞とそのための脳浮腫を軽減させるための薬物療法を行うとともに、リハビリを開始し、脳梗塞の慢性期に入るとともに運動療法及び脳循環代謝改善薬の投与などの治療を行っていたならば、本件脳梗塞の完全な回避は困難であったとしても(本件においては、平成四年一月六日の時点で、本件脳梗塞の発症から既に一か月以上経過しているため、脳梗塞の急性期を過ぎていた可能性が高い。)、少なくとも本件脳梗塞による後遺障害の程度を相当軽減することは可能であったものと認めざるを得ない。

(四) 以上によると、被告乙山は、前記(二)の注意義務を怠り、原告を右正中神経麻痺であると誤診し、その結果、平成四年四月九日まで本件脳梗塞を発見することができず、そのために本件後遺障害の発生を回避し得なかった点において過失があったというべきであり、また、被告乙山は、被告正和会の履行補助者として右の診療行為を行ったものであるから、被告正和会も右の点について本件診療契約上の債務不履行責任を負うというべきである。

二  請求原因5(損害)について

1  原告の逸失利益

(一)  前記一、2(一)及び(一〇)で認定の事実及び原告本人尋問の結果によると、(1)原告は、平成三年一二月当時、「甲野自動車」という屋号で自動車の鈑金塗装一式を取り扱う鈑金加工業を経営し、自らは鈑金加工作業を行い、鈑金加工が終わった後の吹付塗装は従業員の吉田に行わせていたこと、(2)原告は、右のとおり、平成三年一一月一二月から同月二八日迄藤澤整骨院に通院して治療を受け、同整骨院及び被告病院に通院中は、右手及び右手指の運動障害に苦しみながらも鈑金加工の仕事を続けていたが、同年四月九日に成人病センターに入院してから後は鈑金加工の仕事を続けることもできなくなったため、甲野自動車の経営を吉田に譲らざるを得なくなったこと、以上の事実が認められる。

(二)  前記一、2(九)で認定のとおり、本件後遺障害は、右上肢麻痺による運動機能障害、右上肢知覚低下、右半身の感覚障害であり、特に、右手の第一ないし第五指の伸展及び屈曲が不能又は著しく困難になるなど、右手指の運動機能に著しい障害があるので、労働基準法施行規則別表第二(第四〇条関係)の身体障害等級表の第七級の七に該当するところ、労働能力喪失表(昭和三二年七月二日基発第五五一号労働基準監督局長通牒)によれば、本件後遺障害による労働能力喪失率は五六パーセントであると認められる。しかしながら、前記一、4(三)で認定のとおり、被告病院において平成四年一月六日の時点で本件脳梗塞を発見し、脳梗塞の治療を開始していたならば、本件後遺障害の程度を相当程度軽減することは可能であったものの、本件後遺障害の発生を完全に回避することは困難であったと認むべき事情が存するので、本件後遺障害による損害賠償額(原告の逸失利益)を算定するに当たっては、かかる事情を斟酌し、右損害額の五〇パーセントを減額するのが相当である。

(三)  原告は、被告病院を受診する前の平成三年一月から同年一二月までの甲野自動車の収入は月額平均一二九万円であり、諸経費を差し引いても原告の所得は一か月当たり五五万円を下回ることはなかったと主張し、甲第一三号証にも同趣旨の記載があるところ、証拠(甲第一一号証の一、二、第一二号証の一ないし三、一三号証、第一六、一七の各一、二、原告本人尋問の結果)によると、甲野自動車は、近畿自動車や株式会社リファインサービス等の依頼で自動車の銀金加工及び吹付塗装を行い、平成三年一月から同年一二月までの甲野自動車の売上は、別紙収入月別一覧表記載のとおりであり(なお、修理代金の振込は、修理完了後二か月遅れでなされていたので、平成三年一月から一二月までの売上は、同表の平成三年三月から平成四年二月の収入に対応することとなる。)、合計で一五〇三万五〇七八円であることが認められるから、平成三年度において、甲野自動車は一か月当たり約一二五万円の売上があり、そのうちの何割かが原告の収入となっていたことが窺われる。原告は、右売上のうち、諸経費として月額約五〇万円(吉田の給料として三〇万円、家賃として一〇万円、塗装料として五万円、その他雑費として五万円)を差し引き、小口の現金収入を加えると、原告の一か月当たりの所得は五〇万円以上であったと主張するが(甲第一三号証)、右の諸経費を裏付ける客観的な資料はまったく提出されておらず、また、原告の納税申告書等も証拠として提出されない以上、被告病院を受診する前の原告の所得を性格に把握することは困難というほかはなく、甲第一三号証の記載をそのまま原告の所得算定の資料とすることは相当でない。また、原告は、甲野自動車には鈑金加工の分野では従業員がおらず、吉田は吹付塗装を担当していたにすぎないから、原告の取得する利益は原告自身の人件費及び営業による利益であり、その合計は甲野自動車の売上の約五〇パーセント程度となると主張し、甲第一九号証には、自動車整備業の場合、平成三年度における売上高対総利益率は23.1パーセントであり、総売上高対人件費比率は二五パーセントであるとの記載がある。しかしながら、甲第一九号証の平成三年度における自動車整備業の統計は、平均従業員が二一名の場合であり、従業員一名の甲野自動車とは異なるから、右の数字をそのまま甲野自動車に適用することは相当でなく、甲第一九号証の記載によっても右原告の主張を裏付けることはできない。

そこで、原告の収入を算定するに当たっては、別表の総務庁統計局編「平成三年度・個人企業経済調査年報」の自動車整備業についての統計に従い、売上高に占める営業利益率を23.5パーセントとし、これに従業員別規模別営業利益率比較表及び地方営業利益率比較表の格差を考慮して、原告の収入を算定すると、次の算式のとおりとなる。

(125万円×0.235×56.4/43.3×37.4/43.3)×12=396万5829円

よって、原告の平成三年当時の収入は、金四〇〇万円と認めるのが相当である。

(四)  右のとおり、原告が被告病院を受診する直前において年額四〇〇万円の収入を得ていたものと認めることができ、本件後遺障害を負うことがなければ、症状固定時(平成四年六月ころ)から就労可能と考えられる六七歳までの二〇年間にわたって年収四〇〇万円を得ることができたものと推定されるから、中間利息の控除につき新ホフマン係数13.61を用いて逸失利益の現価を算定すると、右のとおり金一五二四万三二〇〇円となる。

400万円×0.56×13.61×0.5=1524万3200円

2  原告の慰謝料

本件後遺障害の内容、程度のほか本件記録に表れた一切の事情を斟酌すると、本件後遺障害を負ったことによる原告の慰謝料は金四七五万円とするのが相当である。

3  以上のとおり、被告正和会の債務不履行及び被告乙山の不法行為によって原告が被った損害は右の1及び2の損害額を合計した金一九九九万三二〇〇円となる。

三  結論

よって、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、金一九九九万三二〇〇円及びこれに対する本件不法行為後であり、かつ、本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成五年二月二〇日から右各支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度でいずれも理由があるから、右の限度で認容し、その余の請求は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三浦潤 裁判官小林昭彦、裁判官山門優は、いずれも転補につき署名捺印することができない。 裁判長裁判官三浦潤)

別紙収入月別一覧表〈省略〉

別紙個人企業の営業利益率表〈省略〉

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